奈良時代の静岡県西部は、遠淡海(とおつあふみ=遠江)と呼ばれていました。琵琶湖のある近淡海(ちかつあふみ=近江)と、浜名湖のあるこの地域を対比して名付けられたものです。字が示すように、当時の浜名湖は淡水湖だったと考えられます。市内の伊場遺跡から出土した木簡(もっかん)に「浜津」とあり、本市の名称の起源が1300年前から続く古い地名にあることが確かめられています。
このほか、引佐・都田・赤佐・和地・宇布見・長上・老馬(老間)・大柳なども同じ時代から続く由緒ある地名です。
平安時代に編さんされた百科事典「和名類従抄(わみょうるいじゅうしょう)」には、当地域の地名として「浜津」とあります。
ところが、室町時代に書き写された「和名類従抄」の新版の中には「浜松」とあり、その読み方として「波万万都(はままつ)」とふり仮名がしてあります。平安時代と室町時代の間の鎌倉時代に書かれた紀行文「十六夜(いざよい)日記」の中でも「浜松」という地名を見ることができることから、地名の表記が「浜津」から「浜松」へと変わっていったことがうかがい知れます。ちなみに、「十六夜日記」
には、作者の阿仏尼(あふつに)が、浜松荘(はままつのしょう)の「引馬」に泊まったという記述もあります。 |