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浜松まつり

 浜松まつりの特徴のひとつは、「都市まつり」ということ。東京の天下祭りや京都の祇園祭と違って、神社仏閣の祭礼とは関係ない“市民参加”のまつりなのです。

浜松まつりの始まりは、一説によると今からおよそ430余年前の永禄年間(1558〜1569年)に、当時の浜松を治めていた引間城主の長男誕生を祝って城中高く凧を揚げたことが、凧揚げの起源であると言われていますが、記録としては定かではありません。

 なお、記録に残っているものとしては、寛政年間(1789〜1800年)の記録に凧の記述がみられます。「遠州のからっ風」と呼ばれる強い風が吹くこの地は、気候的にも凧揚げに好条件であり、子供の誕生を祝う「初凧」の伝統は、浜松まつりとして現在までこの地に根付いています。

 

凧揚げ合戦

 遠州灘を臨む中田島砂丘の凧揚げ会場では花火の合図とともに、大凧がいっせいに五月の空へ舞い上がります。まず揚げられるのは長男の誕生を祝う 「初凧」。まつりの正装をまとった小さな「主役」も父親に抱かれてその瞳で自分の凧を追います。続いて激闘を鼓舞するラッパの音とともに数百人が入り乱れて闘いが始まります。

 凧揚げ合戦の勇壮さは、太さ5mmの麻糸を互いに絡ませ、摩擦によって相手方の糸を切ることにあります。このとき糸が焼け白煙が立ち上がり、焦げたにおいが漂います。凧は風そして腕。興奮が興奮を呼び、会場をぐるりと取り囲む大観衆からはどよめきが起こります。

 

御殿屋台引き回し

 107台の御殿屋台がその絢爛豪華を競い、内79台が中心街を幻想的に彩る「御殿屋台引き回し」。その昔、凧揚げから帰る若衆を迎えるために、底抜け屋台を造って練り歩いたのが始まりと言われている。その後、おはやしが屋台に乗るようになり、見事な彫刻が施された御殿屋台が出現するようになっていった。

 夜のとばりが街を包むと、ベテランの弾き手がつまびく三味線の音、きれいにおめかしした子供達の笛、太鼓のおはやしを合図にゆっくりとご殿屋台は動き出す。おはやしと太鼓の音のリズムがリズミカルに流れ、やがて祭り絵巻はクライマックスを迎える。


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