あの人は今
       --浜松JCの功労者達--   「第5回 伊藤雅章先輩編」
 地域社会への貢献
 17年間の在籍で10年理事役員をなさった先輩ですが、一番の想い出は、ご自身発案の「中田島ちびっこジャンボリー」だそうです。それ以前は、稲葉功君の提案で「子供のための雪まつり」が全体事業として開催されていました。雪に接する機会の少ない浜松の子供達に、10トン車10杯の雪山を用意して遊んでもらおうという企画でした。
 3年目に伊藤先輩は担当副理事長として関わりを持ちましたが、雪の搬送は天候次第で、雨が降ったら輸送費の百万円は一瞬にしてパーになってしまいます。今のようにアメダス等詳細な気象情報を探る手立ての無い時代、自衛隊や気象台に何度も問い合わせました。開催決定のGOサインを出す難しさは…筆舌に尽し難く、もう前の日などは眠れませんでした…。(苦笑)曇り空でしたが、本物の雪山を目前にした子供達は大喜びでした。そして丁度、閉会の挨拶を終了した直後に、雨が降り出すということで、肝を冷やした思い出が残っているそうです。現在でも何処かで、この「雪まつり」は継承されているようです。(元気だったころの稲葉君の笑顔が思い出されます…と)
 そんな理由(わけ)で、次年度は「ちびっこジャンボリー」の開催となりました。
 JCとして、経済人としての立場から考えたとき、地域特有の文化や伝統の継承が必要ではと思い、勇壮な「浜松まつり」の伝承的事業を企画したのです。子供たちに大凧の手応えを体験してもらい、まつりの楽しさや醍醐味を知ってもらおうと考えました。特に身体に障害をもった子供さんたちは、本番の凧揚げを知りません。(危険なため引率者なし) 社会開発運動は、ここから一歩を踏み出したのです。「身障者の子供達に、まつりに参加するという夢をプレゼントしよう…」と思ったのです。ところが、「ちびっこジャンボリー」の企画立案した当初、周囲の反応は、先輩と少し温度差があったようです。「素晴らしいことだけど、実現できるかナ…?」ということだったようです。
 西部児童相談所に先輩達の思いをぶつけました。市内10施設の子供たちを全員招待することが実現したのです。それからが大変でした。毎日毎日メンバーの協力を得ながら、自治会回りをして、ついに27町の協力を取り付けることに成功しました。
 また浜松に進出したての中日新聞東海本社をはじめ、運動の主旨に賛同いただける方々のご協力を求めて積極的に動き回ったのです。開催にあたっては、国(建設省)、県(:2警察署・2事務所)、浜松市(12課)、イベント協力(5団体)事前の新聞広報からジェットヘリまで飛ばしてくださった中日新聞東海本社の全面的なバックアップには、企業スケールの大きさを感じられたそうです。
 翌日のマスコミ各社は、来場者約4万人と報道。会員各位の献身的な協力のお陰で事故もなく無事役目を果たせました。
 今、思えば浜松の良さは自治会組織がしっかりしていることです。それは「まつり」という一大イベントがあるが故に、町内の人たちとの連携や交流が保てているということではないでしょうか…?「浜松まつり」の良さがそこにあるのです。12市町村の合併を目前にした今日。自治会をさらにまとめあげる必要があります。そのためにも、まつりの継続は不可欠です…。
 先輩の提言はいまや行政を動かす大きな力となりました。そして、JCメンバー198人全員の力をまとめ上げ、見事イベントを成功へ導きました。当時の岡委員長をはじめとする委員会メンバーの方々には今でも感謝しておられました。
※「ちびっこジャンボリー」は現在の「はままつ少年の船」事業へと継承されています。

 時代に合った、先取りした、活動を
「ちびっこジャンボリー」について先輩は、「僕らがやったのは地域のためとかJCのためとか言いながら、結局は自分達の研鑽の場でもあったんです…。JCの全会員が一つの事業に対し何らかの形で参画するという、そういう意識づけをすることが大切。それを七年も継続していただいたことに感謝しています…。」とおっしゃっていました。また、今後も時代のニーズを先取りした活動を、形や媒体を変えて継承していってほしいですネ…。カッコイイのよさを求めるのではなく、地に足をつけた活動をして、地域の人達からやってよかったネ…。と、言われるような発想やJC活動を望んでおられました。

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