欠陥建築の現状 1.欠陥建築の現状 近年、欠陥建築の話題がテレビや新聞を賑わすようになり、今や社会問題となっています。一説によると、その数は表面化していないものまで含めると、1000万棟とも2000万棟とも言われています。現在でも1年間に150万棟もの住宅が建っている中で、20万棟が欠陥を抱えていると予想されています。実に8件に1件の割合ですが、建物に影響のない軽微な欠陥は、全ての建物に存在すると言っても過言ではありません。残念ながら、日本は欠陥住宅ラッシュの状態なのです。 戦後50年間、日本の住宅は質よりも量に重点を置いてきました。建築業者は、トラブルが発生した場合は「住宅産業はトラブル産業だ」と開き直り、行政担当者も業者に甘い検査を続けてきました。 昔の西欧の法典に、「大工の手抜きにより建物が壊れた場合、その大工を死刑にする。手抜きによりその家の子供が死亡した場合は、大工の子供も死刑にする。」といったものがありました。住宅は人間にとって安らぎの場所であり、平穏で安全な生活を維持するために必要な物ですが、住宅に欠陥が存在すれば、その住宅は人間の生命を脅かす凶器に変身します。日本で建築に関わる人は、この事をしっかりと胸に刻まなくてはなりません。 建物は、殆どの人にとっては一生で一番高くたった一度の買い物で、欠陥被害は消費者にとって最大級の財産的被害です。欠陥建築を掴まされた被害者の苦痛は、並大抵のものではありません。雨が降るたびに雨漏りがし、少し強い風が吹けば家が揺れるなど、その精神的ダメージは計り知れません。安心して暮らせる空間無くして、良好な家庭生活を送ることなどできません。 2.阪神淡路大震災の教訓 1995年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が発生しました。平成6年度の消防白書によると、死者6,432人、重軽傷者43,792人、全壊家屋105,000戸、半壊家屋144,000戸、一部破損263,702戸という未曾有の大被害をもたらしました。また、死者の死因の内、89%は倒壊した建物の下敷きになった圧死でした。なぜこのように多くの建物が倒壊してしまったのでしょうか?もちろん、今までに予想もしていなかった大規模の直下型地震だった事もありますが、それ以上に建物の欠陥が主な原因になっていたのです。私も被災直後に現地入りして、倒壊建物の調査を行った経験があります。その時、木造家屋が完全に倒壊している横でその建物よりもずっと古い建物が大した被害を受けずに建っていたり、頑丈な鉄筋コンクリート構造の1階が壊れている横で木造の三階建住宅が無傷で建っている光景を目撃しました。隣同士で「倒壊した家」と「倒壊しなかった家」を分けたのは何だったと思いますか?それは「欠陥の有無」です。その意味で、阪神淡路大震災の建物被害の多くは、人災だった可能性を否定できません。適切な設計が行われていたり、建物が設計図通りに施工されてさえいれば、こんなにもたくさんの建物が全壊する事は無く、死者の内殆どの命は失われずに済んだはずです。ところが、一部の専門家がそうした指摘をする中で、欠陥調査をろくに行わずに、倒壊建物は危険を理由に解体・撤去されてしまいました。倒壊の原因調査を徹底的に行い、今後の対策や改善策を検討する必要がありました。 今日の先端技術を駆使しても、大地震の発生を事前に予測する事は難しく、阪神淡路大震災での人災が再び繰り返されないという保証はありません。日本では、地震の都度に建物の強度を高める法令等の改正をしてきた歴史があります。1968年の十勝沖地震、1978年の宮城県沖地震による被害を教訓にして、1981年に建築基準法が改正されました。耐震の基準は過去の地震データを基に策定されています。危険が叫ばれている東海沖地震が、どの規模で発生するかは発生してみないとわかりませんが、工事が適切に行われてさえいれば、そして耐震補強をしてさえいれば、建物の倒壊による圧死という悲しむべき事態はある程度防げるはずです。 阪神淡路大震災の際、こんなエピソードがありました。神戸のある棟梁が、生涯で約170戸の住宅を建てました。この阪神淡路大震災で、棟梁の建てた住宅で完全に倒壊したものは1棟もありませんでした。棟梁の建てた住宅を調査してわかった事は、当時の建築基準法が制定された1975年より以前に建てられた住宅でありながら、その基準法を完全に満たしていたという事です。ほとんどが庶民の家で工事単価は決して高くありませんが、良識を持って建てれば自然と基準法をクリアし、少しぐらいの地震ではびくともしない頑丈な住宅ができあがるのです。 戻る |
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